ライカ誕生
左の写真はオスカー・バルナックその人である。まあこの人がライカを作ったと言っても過言ではない。
バルナックは1911年にライツ社に入社した。それまでは、カール・ツァイス社に在籍していた。引き抜かれたのか、自分からやめたのかは分からない。
当時ライツ社は顕微鏡などを主に製造していた中堅所の光学メーカーだった。バルナックが与えられた仕事は、新分野である映画撮影機の開発であった。この開発は第1次世界大戦で中断されてしまったがそのさなかバルナックは仕事をサバリサボリUrライカ(ウル・ライカ)を2台作ったのである。そのうち1台は現在でも多額の保険を掛けられながら保管されている。
その後プロトタイプを重ね、0ライカ(ヌル・ライカ)が作られるのである。バルナックが携わったライカは、バルナック型のU型まである。Urライカは当時はライカとは呼ばれず、バルナックのカメラと呼ばれていた。これが0ライカを量産し始め、ちゃんとした名前がいるようになると、ライツ社のカメラだからライカとなったである。
バルナックがUrライカのような、小型のカメラをのは諸説が多いが、
T.バルナックは写真愛好家でもあるから、これまでのような大きな木製のカメラの持ち運びにうんざりしていた。
U.当時の映画撮影機のフィルムはロットにより露光が安定しなかったので、撮影前の露光チェックは必須だった。これは実際にフィルム撮影し現像してチェックしていた。ライカのような小型で1コマ2コマ撮影し露出計代わりのものが欲しかった。
である。先ほど仕事をサボリサボリと書いたが、Uの理由であるとすればコソコソとすることなく堂々とバルナックはカメラを作れたのである。
最初に作った手作り感いっぱいのUrライカであるが、アクセサリーシューとフィルムのサイズ(36*24)は現在の36ミリカメラすべにに採用されている。